私は両親を2年の間に立て続けに亡くした。
自分が40代の前半の頃のことだった。
父親はたしか89歳のころまでは脳機能もしっかりしていたと思うが、それ以降は徐々にぼんやりする時間が多くなってきて、94歳頃の時に特別養護老人ホームに入居して95,6歳で他界した。
最期まで病気とは縁がなかった。大往生といえる生涯だったと思う。

思えば自分が生まれた時に、父はもう老人であった。それほど歳が離れていた。
父は無宗教だったので、お葬式は市が推薦するあまりお金のかからないこじんまりとした葬式にした。

父の生前に自然死尊厳協会に登録して、無駄な延命措置はしない意向を私は選んだ。
自分ももしそういうたくさんの管につながれて意識も朦朧のなか無駄な延命で苦しむのは意味がないと思ったし、自分が死ぬときも無駄な延命措置はしないように息子に遺言を残そうと思う。
自然に徐々に食欲が衰えて自然に衰弱していって死にたいと思う。

一方の母は、71歳の時に他界した。
晩年は糖尿病、心臓病、糖尿病性腎症、腎盂炎などを併発していて心筋梗塞を起こして一命を取り留めたあと3,4年は生きたと思う。
最期は心臓発作で亡くなった。
ある意味瞬間的に死んだといえるので理想的な死を迎えられたと思う。

両親の死は存命中に死が近づいているという私の心の準備はできていたと思うが、
それは、やはりある日突然あっという間に訪れた。

両親の晩年に少しでも親孝行をしようと、まだ2,3歳の息子と親子3代で箱根や長野の温泉に連れて行ったことがあるが、人が亡くなる時期というのは誰も予想がつかないもので、
今となってはもう少したくさん親孝行をしておけばよかったと思う。

父を亡くした時、涙は出なかった。
寿命をまっとうしたという思いが強かった。
明治、大正、昭和、平成を生きた長い人生が静かに幕を閉じた感じで、
父としても生ききったのではないかと思う。
90歳以上も歳が離れた孫の顔も見れたし、その意味では良かったと思う。
母も1,2歳の孫の世話も寿命の最後の時期に少しはできて良かったと思う。

人生100年時代と言われるが、人それぞれ抱える病気は千差万別である。
できることなら生活習慣病からくる万病のもとである糖尿病などには罹ることなく、
最期は自然に死にたいと思う。

ところで死後の世界は、どう考えてもその先があるとは、自分には考えられない。
アジアで広く信仰されている輪廻転生も考えられない、というか、もしあったとしても今生の自分の意識と記憶は存続されないだろうから、自分の意識と自分が生きた人生とその記憶とは関係ないものとなると思う。
自分を構成した原子などはどこかに移動して違う個体の構成要素になるかもしれないが、それは自分という個体の意識とは関係ないものであり、意識と記憶の断絶があるのだと思う。

そんなあの世も来世もこれっぽっちも信じない自分に、母が死んだ直後に起こった現象は、
どう考えてもこの世のものとは思えないものが存在するということを証明してもらったと言える。

母のお葬式の翌日、パリのペールラシェーズの墓地の薄暗い納骨堂の地下にある母の遺骨が入ったボックスの前で
お祈りしていた時のことだった。
どうぞ安らかにとお祈りしていて、ふっとボックスの前を見ると、
赤、青、黄、ピンク、白などの清冽な華の花弁のようなものが光ってたくさんまとまって、万華鏡のように見え
浮遊して小刻みに動いているのが見えた。
ボックスは閉じられている、と確認の意味で自分に言いきかせた。
目の錯覚かと一瞬思って、15メートルくらい左側の照明を見たが普通に点灯していた。
その輝かしい華のようなものの花弁がひとつずつ自分の方にゆっくり向かってきては逸れて、
右側の通路出口の方に消えていった。
その時間は4分くらい続いたと思う。
それから、深紅のバラの花びらが、まるで本物の鮮血のような色でゆっくりと揺れながら、
やはり自分の方にゆらゆらと向かって漂ってきては右の出口の方に消えていった。

最後には、これらの赤、青、黄、ピンク、白などの花びらが円を作ってゆっくり回転しつつ、
最後の最後にグレー色となり煙のようになって、10、20cm上昇して、ぱっと消えた。
これらのすべての現象が5,6分は続いたと思う。

私は、今までの生涯でこのような超常現象を見たのは初めてであった。
母は火葬されていたので、このあたかも生きている鮮烈な華の散華のような現象は、
あきらかに母の死後に起こった現象である。
どうにも説明がつかない現象がこの世に存在するものだと、
スピリチュアルでもなく無神論者の私は、その時初めて悟ったのだった。

また、母はフランスで数ヶ月前に他界していたのに、東京の特別養護老人ホ一ムで父が一時危篤になって救急車で病院に運ばれた際に、その救急車に同乗した特別養護老人ホ一ムのスタッフが、お母様も救急車にお乗りになって行きましたよ、と言ったのには心底驚かされたものだった。

パリのペールラシェ一ズ墓地での神秘体験は、不思議にも怖いというような思いは起こらなかった。
何かすごく安らかに心の奥底が癒されるようだった。
母の生涯を閉じるにあたって、とても苦労の多い人生だったが、
「これでいいのだ」、
という人生を総括して全肯定したことを表現しているようだった。
本当に、この世のものとは思えないほど、美しい現象だった。

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亡くなった人の魂はどこへゆくのか?

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